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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [11]




 な、なんなんだ? なんで私がそこまで罵倒されなくちゃならない?
 怒りよりも先に疑問が浮かぶ。
 やがて、幸田が呼んだらしい女性の使用人が部屋に入ってくる。
「とりあえず角の小部屋へ連れて行ってください」
「嫌よ、離してっ!」
 抑えられるほどに抵抗する。
「この女は許せないっ! 絶対に許せないんだからっ!」
「とにかくお部屋へ。このままではお帰しする事もできません」
「あなたのような女狐になんて、山脇先輩は絶対に渡さないっ! 絶対に渡さないんだからっ!」
 そうして二人がかりで緩を連れ出す。一人取り残された美鶴は、呆然(ぼうぜん)と閉じた扉を見つめ続けた。
 なんだったんだ?
 ワケがわからない。
 普段から何を考えているのかよくわからない子だけど、あんなふうに突然怒鳴り散らすなんて。
 そこでふと視線を落す。
 あの時もそうだった。
 美鶴が興味本位で瑠駆真と小童谷陽翔の会話を盗み聞きしようとしていたところに現れた金本緩。彼女はワケもわからず突然叫び声をあげ、美鶴に暴行されたと喚き出した。お陰で美鶴は自宅謹慎の身となってしまった。
 気性が激しいのは間違いないな。
 でも、それにしても理解できない。
 ココアと睨めっこをしたまま沈潜(ちんせん)していると、やがて幸田が戻ってきた。美鶴と視線が合うと、苦笑しながら寄ってくる。
「今、別の女性が付き添っています。落ち着いてくださるとよいのですが」
 言いながら美鶴の向かいに腰を下ろし、カップを手に取った。もう冷めてしまったココアを一口飲む。
「あの、いいんですか?」
「え?」
「あ、あの、だって、その、こ、幸田さんって、ここの使用、人」
 歯切れ悪く視線を泳がせる。
 幸田はここではただの使用人だ。そのような人間がこのような騒ぎを起こして、果たして大丈夫なのだろうか?
 だが、幸田は小さく肩を竦めるだけ。
「木崎さんには、後で小言を言われてしまうとは思いますけどね」
 大して悪い事をしたという様子でもない。まるでこの屋敷は自分の家だとでもいう振る舞い。
 使用人って、どこでもこういうもんなのかな? それとも、住み込みで働いているからかな?
 結局、深く追求しても無駄だと諦める美鶴に曖昧な笑みを浮かべ、幸田はココアをもう一口。
「ヒステリーのようなものだと思います」
「ヒステリー?」
「えぇ、いろいろな感情が混ざり合って抑えられなくなってしまうのですわ」
「いろいろな感情、ですか」
 納得できたようなできないような曖昧な声音に、幸田は視線を落とし、両手で包んだカップを膝の上に置いた。
「私が浅はかでした。あそこまでお気になさっているとは思っていなかったもので」
「え?」
「衣装の件ですよ。緩さま、ご自分が衣装を着たがっているという事実が周囲に知れるのをひどく恐れておみえでした。私もそれを理解しているつもりでしたの。ですから美鶴さんにはわからないように、衣装の作成というような言い回しをしたつもりでした。普通でしたら衣装の作成と聞けば、一緒に裁縫をしたりデザインの作成をするのだろうと思うはずでしょう?」
「まぁ、そうですよね」
 実際、美鶴はそう思っていた。駅前で幸田が緩へ向ってゲームの衣装がどうのこうのと言った時、まさか緩がその衣装を着るのだとは思いもよらなかった。
 ゲームという言葉やコスブレの衣装という発言が緩にはとても不似合いだなという違和は感じていた。だからこそ、緩自身が着るなどとは思いもしなかった。
「緩さまは被害妄想を抱えていらっしゃるところがおありのようです。ですから、ゲームの衣装だとかコスプレなどといった言葉が出てきただけで、自分のコスプレ願望が露見してしまったのではないかと錯覚してしまったのですね」
 それで勝手に暴走したワケか。
「それにしても、何もあそこまで」
 うんざりとココアを飲み込む美鶴に幸田が笑う。
「きっと、よっぽど恥かしかったのでしょうね」
 そうして、やおら身を乗り出し、美鶴へ向って首を傾げた。
「お願いでございます。緩さまの為にも、どうぞこの件は他言なさらないでくださいませ」
「え? あぁ、うん、言わないよ」
 言って校内に噂が広まったら、またどんな騒動が起こるかわからないしな。
 それに、そもそも彼女がどんな趣味を持っていようがコスプレに憧れていようが、私には関係ないワケだし。
「そのお言葉を聞いて安心致しましたわ」
 幸田はホッと胸を撫で下ろす。
「緩さま、美鶴さまの事をひどく罵っていらっしゃいましたから、美鶴さまもお気を悪くされたでしょうに」
「いえ、そんな事は」
「まさか美鶴さまが腹いせになんて思って事をバラすとは思えませんけれど、緩さまはその事をひどく心配していらっしゃるようですから」
「そうみたいですね」
「美鶴さまが嗤っていらっしゃるだなんてひどい妄想もしていらっしゃったようですし。美鶴さまは嗤ってなどいらっしゃらないのにね」
 ゆるやかに笑いかけられ、美鶴はなぜだか気まずくなって視線を逸らした。
「恥かしくなるとさ、嗤われているように思えるんじゃないの?」
「あら、美鶴さまは心のお広い方なんですね」
「え、広くなんかないよ。ただ、そうだろうなって事ぐらいは想像できる」
 すると幸田はなぜだかクスッと笑った。
「美鶴さまには、緩さまのお気持ちがわかるのですね」
「わからないよ。ただ少しくらい想像はできると思っただけで」
 そうだよ、私には彼女の気持ちなんて全然わからない。何を考えているのかもわからないし、こっちに何を要求しているのかもわからない。わからない、けど。

「嗤っていますわ。嗤っている。絶対に絶対に私の事を嗤ってる」

 どこかで聞いた言葉だな。
 記憶を辿り、思いだす。
 里奈(りな)と絶交した頃の自分を見ているみたいだったんだ。
 自分は里奈の引き立て役だと陰で嗤う同級生の言葉にひどく傷ついた。やがて、里奈もきっと同じように嗤っているのだろうと思うようになった。そう思うと、それは間違いの無い事実なのだと思えるようになっていった。

「絶対に絶対に私の事を嗤ってる」

 私も、あんな顔してたのかな。あんな風に目尻を吊り上げて、相手の言葉も聞かずに喚きまくって。
 いや、別に私は里奈や周囲とあんな風に対峙なんてしなかった。対峙させる余地を、里奈には与えなかった。
 美鶴は唇に力を入れる。
 胸の内では、私もあんな顔をしていたのだろうか? もし心の中を映せる鏡なんてものがあったなら、あんな顔が映るのだろうか?
 秦鏡(しんきょう)なんてものがあったらいいのに。
 そう言ったのは瑠駆真だった。
 私の心を鏡に映せば、現れるのは金本緩?
 似ている、のか?
 だが、なんとなく似ていると認める事が癪で、美鶴はもう一人の自分に肯定的な答えを返す事ができない。
 頭の中で創り上げた鏡に、細いヒビが入る。







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